社会人二年生、考える。
徒然花です。
令和3年度の7月も終わろうとしています。時の流れは早いもので、もう社会人二年生。
新卒で入社した会社が合わず、心身ともにボロボロで、本当に死ぬかと思った時期もありましたが、なんとか持ちこたえています。(心療内科に通いながら)。
社会人二年生になって、感じたこと。
それは良くも悪くも、「慣れる」ということです。
今も苦しいけれど、吐きそうになるほど会社を気持ち悪いと思うし大嫌いだし心底潰れろと願っているけれど、やはり1年もいると、ある程度は、慣れます。
入社当初は会社が合わない苦しさに加えて、仕事ができないという苦しさもあったので、仕事に慣れてある程度こなせるようになったことで解消されたストレスも幾らかはあるのでしょう。
そういうことも含めて、慣れてきます。きっと世の中にこういう人は多いのだろうとも思います。
最初は辛かったけれど、1年と少し我慢したら慣れる。
この事実は、今苦しい状況にあっても、そのうちその苦しみは和らぐよ、という一縷の希望とする見方もできます。
「明けない夜はない」という、そういう考え方に根拠を与えるひとつのエピソードになり得ます。良い話ですね。
ですが私はそのようには思えず、この事実から新たな危機感を覚えています。
それは、このまま自分はズブズブと沈んでしまうのではないか、という危機感。
苦しさのピークにいたとき、死ぬほど苦しかったのもそうですが、焦りと、この状況を打破しなくてはならない、という使命感の燃え上がり方には我ながら目を見張るものがありました。
自分の中にこんな熱があったのかと驚きましたし、またその燃え上がる熱を転職活動という、正しい行動に移すことができていました。
無理がたたったのか結果的に精神科通いになってしまいましたが、伝えたいのは当初の私の熱が凄まじかったということです。
そこからしばらく経ち、現在。
仕事には慣れ、人間関係にも慣れ、適応できてしまっている自覚もあります。
その中で、苦しさが和らいだ分、燃え上がるような危機感と焦りを失ってしまったように思うのです。
もちろん頭では、この会社に居続けてはいけない、脱出しなければいけない、とは思い続けています。ですがかつてのように、気持ちに熱がのらないのです。
そして恐ろしいことに、「最悪このままずっといられるかもしれない…」という気持ちがふと頭をもたげる瞬間があります。
最悪、決まらなくてもここに居続けなら生きてはいける。
地方なんてみんなこんなもんだし。
最悪このままでもなんとかやれるのではないか。
こんな調子で、思ってしまうことがあります。
頭で考えるとこれは間違いなく誤りです。
パワハラが横行していて、怒鳴り声が響き渡るオフィスで、正当な評価を受ける仕組みが存在せず、給料はいつまでたっても上がらず安いままで、その割には背負う金額と責任が重すぎる。
客観的に考えるとこんな会社に居続けるのは絶対にダメだと分かります。
それなのに、慣れにより辛さが若干和らいだことで、判断が少し狂うのです。
燃え上がるような危機感と焦りを失ったことで、私は、このままなんとなく居続けて、ズブズブと沈んでしまうのではないかと不安に思うのです。
慣れること。
それは良くも悪くも、感覚が鈍くなることなのだなと、私は今身をもって感じています。
辛さを軽減するという意味で、慣れることで得られる恩恵は受けつつ、鈍くなってしまった感情の中で自分を見失わないように、芯を強く持ち続ける努力をする必要があると強く思います。
現状に呑まれない、甘んじない、目をそらさず誤魔化されずに現実を見据えて行動する、そうすることできっと守れる気持ちがあるはず。私はそう思うのです。
抗うのは難しいけれど、流れに身を任せて考えることを放棄してしまった方が楽だけれど。私は自分を見失わずに生きていきたいのです。
社会人二年生、これが私の抱負です。